天草紀行
←1891年、布教のために来日したフランス人のガルニエ神父が私財を投じて建立したのが白亜の天主堂「大江天主堂」です。
江戸時代300年にも及ぶキリスト教禁制の下でも、隠れキリシタンとなって信仰を守ってきた人々。この白亜の天主堂はどんなにか人々の心の安らぎの場所となったことでしょう。パアテル(神父さん)さんと親しみを込めて呼ばれたガルニエ神父。

天草西海岸沿いを旅しながら紀行文「五足の靴」を書き綴った与謝野鉄幹、北原白秋、吉井勇ら五人の詩人達も、この天主堂までガルニエ神父に会いにきたそうです。ガルニエ神父は生涯をこの地にささげ、天主堂の庭園には慈愛に満ちたお顔の神父の像もありました。   
↑設計施行は教会堂棟梁と
呼ばれる鉄川与助氏。  
←キリシタン資料館の天草ロザリオ館。信仰に使われた隠れ部屋の実物大模型やマリア観音など、キリシタンの歴史、文化を詳細に紹介しています。

こちらは、海岸沿いにあった恵比寿様。港町では豊漁を祈り恵比寿様が多く祀られているそうです。→
その他、天草市立天草切支丹館では天草四郎が使用した陣中旗(重要文化財)があり、人々が命を懸けた戦いの重さが伝わってきます。現在は改築工事のため、天草市立本渡歴史民俗資料館の1階で展示を行っていました。
寛永14年10月島原・天草で起こった切支丹一揆は、天草四郎時貞を盟主とし富岡城を攻撃。が、落城ならず断念して島原へ引揚げたそう。

←ここは富岡城攻略を断念した一揆軍が、島原へ渡るため乗船したところと伝えられているそうです。

こちらは、碑の前に広がるおだやかな海。当時、どんな思いでここから島原へ渡っていったのでしょうか・・・。→
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