1873年南蘇州路から虹口に日本総領事館(当時はまだ日本領事館。1891年に総領事館に昇格)が移転し、83年には東本願寺上海別院も移転してきたので、虹口が日本人居留民の生活の中心となり、居留者はその後ものすごい勢いで急増していきました。

1907年には自治団体として上海居留民団が組織されました。学校運営や、日本人墓地、火葬場の管理をし、日本租界の良質的な管理機構として傘下に最多時180近くの町内会組織をもっていたそう。
そして初期の居留民団の本部があったのがここ昆山路の居留民団跡です。
3階建てのがっしりした造りの居留民団跡。入口などは、木造のドアで今でも十分通用するようなお洒落なつくり。ちょっと表参道の同潤館アパートを思い起こさせるようなモダンな入口でした。エレベーターなしの階段だけですが、手すりも凝ってます。部屋のドアもすべて木造。
この部屋の向こうにはもっと違う日本人の生活を残した何かがみつかるのかもしれませんが、今は一般民家となってるため、部屋の中をみることはできませんでした。
←居留民団跡の向かいにあるのがアメリカメソジスト派の教会”景霊堂”。宋慶齢の父、宋耀如は牧師であったため、宋一族がしばしば礼拝に訪れた場所だったそう。
            こちらは通りからみた様子   →

ここはもともとアメリカの宣教師、林楽知(YOUNG JOHN ALLEN)が設立した中西書院という学校でした。1907年に彼が亡くなった時、彼を記念して学院内の教学楼を
”林楽知記念堂”としました。

その後、林楽知と宋耀如が師弟関係であったことから、宋耀如の長男である宋子文が父親との親交を記念して、1923年自ら資金投資して、記念堂と、同場所にあった林楽知の自宅跡に建てたのが、この景霊堂教会です。
当時は景林堂という名前で、景林堂とは”景抑林楽知之堂”という意味なのだそうです。
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