当時、日本軍の少佐クラスの人間じゃないと入ることの許されなかった高級サロン、大一サロンの跡地。
ここは四川北路のすぐ近くで、当時日本人が一番多くいたエリア。

高級サロンといっても、遊郭と同じ様な感じだったそうです。
大一サロンのあった場所も今は一般民家。中にはいらせてもらうと、目の前に当時の名残であると思われるアーチ型の階段のある洒落た入口が現れました。
入口の両脇にある大理石で作られた飾りは、当時何かを上にのせていたりしたのでしょうか?現在ここで暮らす人の生活用品がところせましとおかれているので、なかなか当時の様子を思い浮かべるのは難しいですがそれでも、とても高級感ある建物だったことがみてとれます。
←大理石の飾りのある入口の建物の、すぐ裏手が当時のダンスホールのあった場所。
いってみて本当にびっくり!!
ダンスホールであった当時の床がそのまんままる〜く残されているではないですか!!
これにはもう大感動でした。

こちらは、入口付近の床のタイル                →
上海市東宝興路123弄     ダンスホール跡
←大一サロン裏手にも、同じ様な建物が並び、ここもみな遊郭だったとのことでした。

こちらは、大一サロンの壁に埋められていた瑠璃瓦。
当時はもっと光輝いていたことでしょう。                    →
上海市東宝興路125弄1号2号3号 

 大一サロンと裏手の遊郭跡
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