←1873年、南蘇州路からここ虹口に移転してきた日本総領事館跡。
当時はまだ日本領事館で、1891年に日本総領事館に昇格したそう。
しかし、目の前にあるのはいかにも現代的な普通のコンクリートのビル。あれだけ当時の西洋風の建物が残されているのに、総領事館がこんな普通の建物であるのはおかしい・・と思っていたら、建物の右に奥へと通じる道路が。ちょっとのぞいてみた瞬間、ここだ!!と確信してしまうほど立派な赤レンガの洋館がありました。

しかし、一切立ち入り禁止。写真撮影も不可。  →
何度も頼んだけれど結局無理でした。通りから
なんとか撮れないかとやってみましたが、右写真の男の人の後姿の向こうに、薄ぼんやり赤く見える建物の側面が、洋館の側面です。ほとんどわかりませんね・・・。

当時の写真集をみると、やはり総領事館は赤レンガの立派な洋館として残されているので、あの建物で間違いはないでしょう。写真に残せないのが残念です。
↑当時、港から虹口への玄関口であった外白渡橋。
人力車や、車などでたくさんの荷物をかかえた日本人がここを何度も通っていったことでしょう。

橋の向こうは、上海の観光スポットでもある外灘〔バンド〕。当時の長崎ー上海定期航路であった
”長崎丸”は、今のバンドのある辺りにあった匯山碼頭という桟橋についたということです。
匯山碼頭は数多くの日本人が上海の第一歩をしるしたところでありますが、そこから虹口の租界地までは、黄包車という当時の車に乗って、40〜50分はかかったそうです。
港からはあまり近くはなかったのですねえ。
←橋の上からみた風景。現代の上海のシンボルでもあるテレビ塔や、高層ビルを見ることができます。当時はここからどんな風景が眺められていたのでしょうか。
橋を外灘〔バンド〕側にわたりきった辺りから、虹口側(日本総領事館のある辺り)を眺めた風景。こちらからなら、赤レンガの総領事館の建物が見えるかなと、思いましたが、まったく見えませんでした。  →
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