山陰路も当時日本人が数多く住んでいたエリアだったそう。上記写真は今の山陰路一角のアパートの入口の様子。左は入口に並ぶ商店。写真右はそのうちの一つのお店の看板の上に、古くから残されているような感じの看板。商店とかいた字が見えませんか?中国では○○商店という言い方をあまりしないので、もしや当時の看板?!なんて思ってしまいました・・・。真ん中は、アパートの入口。
↑入口から入ったアパート群の様子。土地の狭く高い上海の街に適した造りという事で、土地を無駄なく使い、なおかつ中国の伝統的建築様式を色濃く残し、西洋の長屋的建築方式を取り入れて、租界時代19世紀に造られ始めたのが石庫門住宅です。石庫門とは、枠を石門で築いた表門がある建築様式の意。中国と西洋の文化交流の融合の結果といわれる石庫門建築は、一列一列と連なっている為、そこに横町ともいう里弄(リーロン)が形成されていきました。北京に四合院と胡同があるように、上海には石庫門と里弄があるのですね。
ここ、山陰路は当時日本人が多くすんでいたということですが、写真左の家の玄関にある木の戸は、当時の日本らしさを残したものなのかもしれません。
そして魯迅故居は当時大陸新邨といわれた所。→
大陸新邨とは、1931年大陸銀行上海信託部が資本投資して建設した、赤レンガ造り三階建ての住居用テラスハウス。内山書店の店員名義で、内山完造が魯迅にここをかして、魯迅は生涯最後の3年間をここでおくりました。中は撮影禁止。
非常に瀟洒な洋館で、当時すでに電気、水道、ガスが完備されたとても贅沢な造りだったそうです。

←魯迅故居前の通り。とても風情のある通りです。
                魯迅故居入口→
魯迅故居の並びの同じ建築様式の建物。小さな中庭が表にあり、こじんまりしているけれど、住み心地のよさそうな洋館です。                          →
上海市山陰路132弄9号
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