婉容 屋敷跡
ラストエンペラー溥儀の皇后 婉容(詳細はこちら)
は4歳くらいの非常に幼い時、次期皇后候補に決められたといいます。宮廷の決まりで、次期皇后になるかもしれないものは身分の高い人となるため、一般人と隔絶され親と一緒に住むことは許されなかったのだそう。
そして、一つの屋敷に住む事になり、彼女はお付の人間と一緒に1 6歳で宮廷に嫁ぐまで、ここに住んでいたそうです。

婉容といえば、悲劇の皇后といわれ、最後は非常に
悲しい人生をとげる女性ですが、このお屋敷に住んでいた時はきっと活発で、モダンな少女だったことでしょう。

お屋敷跡はひっそりと一般にも公開されていますが、屋敷内の実際の建物内部にはいることはできません。入口から、屋敷内の中庭まではいることができます。今は市政府関係の機関が使用しているとかで、中庭から先は立ち入り禁止なのです。

アヘン中毒で1946年6月20日に逝去、といわれる婉容ですが、私が今回ここを訪れた日は偶然にも6月20日。
58周年にあたる日でした。なんだかもしかしたら、訪ねる運命の時だったのかもしれません。
北京市東城区帽兒胡同37号
←通りからみた入口の様子。

こちらは、瓦屋根。  →
福の字が彫られていますが、これは昔からではなくて、新しいもののようです・・・。
←入口をはいってすぐに現れる円形の門。

ここから美しい中庭庭園がはじまり、そしてその奥に屋敷跡があるわけですが、この門を婉容も触ったりしながら通っていったのだろうなあと思うと、時を隔ててはいても、同じ空気をすいたいというか、なんとなく触れたくなってしまいます。
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