九間楼と書隠楼
梓園を更に先に進んだ喬家路236号には、上海市文物保護単位に指定された
徐光啓の故居があります。(画像左)

(徐光啓:明代の政治家で学者。マテオリッチと親しく自ら進んで洗礼を受けて入信したそう。
農政関係の総合書”農政全書”の著者。)右画像は、故居の前に立ててある石碑。

ここは、一列に九室並んでいる2階建てのとても珍しい造りの為、”九間楼”とよばれているのだそうです。しかし、後に爆撃で2室燃え、現存してるのは7室。
400年の歴史があるというこの建物、傾いていて今にも壊れてしまいそうなんだけれど、奇跡的に残っているのだとか。
それでもまだ一般民家として使われていて、そこで普通に住んでる人がいました。
真ん中の画像は入口の様子。このドアは、建設された当時のままだそうです。

徐光啓は、非常に位の高い高官だったそうですが、とても清廉で私利私欲には興味をしめさず、
この粗末な九間楼で暮らしたと言われています。徐光啓は72歳でなくなり、上海市の今の光啓公園に埋葬されましたが、それ故、その辺りが、現在 ”徐家匯”と呼ばれているのだそうです。
ここも当時のお屋敷跡で、”書隠楼”とよばれているそうですが、中は市政府の何かに使われているらしく参観禁止。表にあった石碑の画像のみです。
場所も、喬家路からちょっと細い路地裏にはいったところなのですが非常に入り組んでいて、つれていってもらったので場所の説明ができません・・・。住所は天灯弄 77号でした。
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