2008年7月、若者に超人気な話劇といわれる『恋愛的犀牛』をみにいきました。

99年が初演だそうですが、いままで100回以上上演されてきたそう。
孟京輝演出、寥一梅が脚本というこの作品、それだけ人気なら一度はみなくては!と自分のなかでの話劇を見る際の「100元以上はださない」決まりを破ってまでみにいってみたのですが・・・・。

内容的には、一般人のわたくしには非常にわかりづらく(話されてる中国語がどうこうというレベルではないように思います。)、結局最後まで訴えたいことをどう納得したらいいのかわからないまま、終わってしまいました。やはり”若者”でないとだめなのかしら?笑

今回の舞台となったのは、オープンしたばかりという蜂巣劇場。さて、どう今までの劇場と違うのかしら?とおもっていたら、舞台で大量の水をつかっても問題ないシステムになっている模様。

明明という女の子に劇的にほれ込み、愛情のかぎりを尽くした馬路が、絶望の淵にたたされたときとった異様な行動・・・が表されているわけですが、この馬路があまりに暗く、それに舞台に直接はでてこない犀牛がまるで舞台のどこかに見えるかのように全体におも〜〜〜い雰囲気をかもしだしています。

馬路の周りに現れる人たちが、面白いセリフをいって会場を笑わせようとするんだけれど、たしかにそれ自体はおもしろいのですが、主人公の二人のどっぷりはまったまっ暗さが全くそれに溶け込んでなくて、なんかバラバラ感・・・。

明明役の女の子は男らしいというか、宝塚で男役をやらせたらはまるのでは?と思うほど女性らしさを感じさせない人で、おまけに役的にほとんど笑わないからかわいらしさのかけらも感じられず・・。やっぱり女性は笑顔でないと。

そうこうするうちに、この劇場ならでは!の大量の水が床一面にまるで床上浸水のような状態で
出現するわけなんですが、こういう劇で、ここまでの水をどうして必要とするのかがよくわからない。たしかに今までの舞台ではありえなかったのかもしれませんが、終わったあとの掃除とか水漏れとかそういうほうが気になっちゃって、気になっちゃって。

最後は馬路がず〜〜〜っとそれこそひたすらにず〜っとシャワーをあびてるシーンがあるんですが、そんなに長時間シャワーをあびる必要性がどこにあるのか、長すぎて不自然すぎてど〜も納得ができず、終わってしまいました・・・。孟京輝は前衛的な演出で有名な人ですが、
それにしても今回は私には難しすぎて、感情移入できず理解できなかったですねえ・・・。