2007年4月に見に行った話劇「艶偶」は、「琥珀」コンビと同じように、舞台経験のない有名俳優をつかって演出をする事で話題の監督、孟京輝の作品。劇場にいってパンフレットを買おうとしたら売り場の
お兄さんが、
”あっちに監督がいるからサインしてもらいなよ!”
とペンまで貸して教えてくれ、そんなあっさりサインしてもらえるのかしら?と思いながらもどきどきして
”サインしてもらえますか?”
といってみたところ、とーっても気さくにサインをしてくれた監督さんでした。

2時間ばっちりある劇ですが、時間を感じさせません。前衛演劇で有名な監督だからか、斬新というかいまいち意味がくみとれなくて頭を悩ます(なんでここにこれが?みたいな)箇所があったり、音楽はみな舞台上にいるバンドによる演奏なので臨調感があったりして、余計舞台に引き込まれる感じがしましたね。しかもドラマーは日本人だったし。驚き!劇の最後はバンドメンバーが前に出てきて演奏し、皆がそれにあわせて踊りまくっているので、一瞬ライブを見にきたかと思うほど。笑

物語は社内不倫をしてる上司の不倫相手が自分の好きな女性でっていうありがちなお話。でも高園園があまりに可憐過ぎて、あの上司の不倫相手というのがいまいちぴったりこない。ただ上司の人が彼女に甘えるしぐさは、みょうにリアルで深みがありましたが。笑 そして夏雨演じる韓東のピュアな気持ちも心に響きます。

「琥珀」の劉イエと袁泉もぴったりだったけれど、夏雨と高園園も純粋でみずみずしく嫌味のない若いカップル。結局ラストはどちらともいえないはっきりしない終わり方でしたが、この続きがあるとしたら、私はやっぱり二人がまたいつかどこかでめぐり会うような、そんな感じがしますね。

洪晃という、陳凱歌の元妻で現在数々の雑誌を出版している著名な女性がいますが(雑誌に記載されている彼女に寄せられた恋愛相談に対する彼女の回答、すごいです。ばっさばっさと滅多切りっていう辛口回答が多いですが、読んでて妙にすかっとします。)、彼女がブログでこの艶偶という言葉について

「男女が非常にお似合いで、同じ社会階級、年齢層の二人が出会った場合は艶偶とはいえず、例えばタイタニックの映画のようにファーストクラスの人間が、三等クラスの人間と一目で恋に落ちてしまうような、ありえない絶対に実らない、という社会常識を超えた出会いを艶偶という」

というようなことを書いていましたが、これに対し別の雑誌のインタビューで”なぜこういう題名をつけたのか?”という質問に孟京輝監督は、

”確かに主役の二人は見た目にはとても似合っている。しかし物語の中では二人の距離はとても遠い。艶偶というのは、すばらしい出来事に対する一つの期待であるように思う。もし思いついてしまったら、たぶん手に入れることはできないもので、例えば列車の中できっと美しい女性に出会うと思っている。で、実際本当に出会ってしまったとしても、二人の間になにかが生じることなどない。でも何も期待せず無意識の状態で出会ってしまったとしたら、生活の軌道に変化が生じさせられる。人は最後は結局その軌道上の生活にもどってくるものだが、でもその艶偶があったことによって人生が豊かになっていく。
そういう見方からいけば、艶偶というのは人生においてとても貴重なものである。”と語っていました。

そういう視点からつくられたこの作品、 こてこての前衛劇ではなくあくまで恋愛劇なので、見てるほうにとっても受け入れやすいのだと思いました。
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