この映画、はじめ予告をみた時は言葉の通じない男女のハッピーエンドのラブロマンスだと思ったんですね。ところがみてみると、ちょっと私の想像と違ったのでびっくり。

主演のアダムサンドラーは、なんとなくイメージが若すぎて設定の役柄にはちょっぴりしっくりこない気がしましたが、子供を大事に考える「いい父親」 ジョン を好演してたように思います。
主演女優のパズ・ヴェガは、とびきりキュート!で、あのタレ目と笑顔にはきっと誰もがくらくらっときてしまうことでしょう。

スペイン女優さんというのは、どうしてあんなにもキュートなんでしょうかね。ベネロペ・クルスをはじめて画面でみた時も本当になんて可愛らしいのだろうと思いましたが、パズ・ヴェガはその素朴な感じがベネロペ・クルスよりもさらに親近感があってなんだか心をノックアウト!って感じです。笑

メキシコから不法移民としてロサンゼルスにやってきたシングルマザー、フロールがパズ・ヴェガの役なのですが、なんというか貧しい中にもすごくプライドがある感じで、クラスキー家でお手伝いさんとして働き始めても、なんだか自信に満ち溢れていてすこしも卑屈なところがないんですね。

環境の違いから、子供に対するものの与え方があきらかに違うクラスキー家の主婦デボラとフロールなので、そこから二人の衝突がはじまってくるわけですが、確かに子供にとってできるだけいい環境で教育をしてあげるのは大事なことだと思います。
デボラが、セレブであるアメリカ的な生活をフロールの娘クリスティーナにも与えようとするのをかたくなに嫌がるフロールをみた時、

「子供の将来のためには、してもらえることはしてもらってもいいんじゃないの?」

なんて思っていた私でしたが、最後、母フロールがお手伝いの仕事をやめることで自分がいままで与えられていた贅沢なめぐまれた暮らしが全部なくなると知って、おお泣きして彼女をせめるクリスティーナに対し、フロールがいった言葉

”そんなに私と違う人間になりたいの?”

というのは、それまでクリスティーナの立場でしかみてなかった私の心にも”がつん”ときましたね。

なんでも満たされてるようにみえるお金持ちのアメリカ人の生活にはない、メキシコ人としての誇りとプライドみたいなものでしょうか。一見、お金がある=めぐまれていると考えがちですが、贅沢な暮らしのできる裕福なクラスキー家の豊かさと、お金がないけれどもフロール母娘の精神的な豊かさを比べてみると、どうもフロール母娘の方に、もっともっと恵まれた何かがあるように感じました。

そういう母を見て育った彼女が物語りの最後にいった言葉、

”母が私のメキシコです。”

というのは、まさに彼女がその後の人生を母親と同じ精神的に豊かな人間として歩めたからこそ、言えた言葉だったんだろうなと思いました。

男女のラブロマンスもあることはありますが、それよりも家族愛がテーマ。最後のフロールとジョンの選択は、家族のために犠牲になったとかそういうことではなく、もっともっと深い愛情があったからこそ。そしてそういう気持ちをもつことができた二人だからこそ、添い遂げられなかったことが必ずしも不幸な悲劇の思い出を、心に刻むわけではないんだなと実感させられます。
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