これは、日本で話題になった時から、絶対みたいとおもっていた作品。希望がかなって、今回北京で行なわれた”日本映画祭”でみることができた。

原爆投下から3年。自分だけが生き残った負い目を感じながら、被爆後の広島でひっそりと生きる娘を宮沢りえが好演。そんな彼女が恋する事によって、原爆で死んだ父親が幽霊となって恋の応援をしにでてくる。風来坊のだめおやじ風の父親を、原田芳雄がこれまた見事な演技でみせる。
心から愛してる娘だからこそ、彼女のかたくなな心をなんとか開かせようと、父親は娘を笑わせたりなだめたり・・・。

あの8月6日を忘れようとして生きてる広島の人の、心の葛藤がリアルに描き出されていて、本当に心が痛い。でもその辛く苦しい告白があったからこそ、今現在、私たちは原爆の悲惨さを次の世代に伝えることができるのだろう。

娘の恋の応援に、昔話の一寸法師に原爆体験をアレンジして、子供達におはなしをしてみろと勧め、自らそのお話をつくって娘に語ってきかせようとする父親だが、話せば話すほどあの日の残酷な記憶が目の前によみがえってきて、思い出として語り継ぐには、まだあまりに記憶が痛々しく悲惨すぎて彼は途中でやめてしまう。

今日、こうやって原爆の歴史が語ってこられたのも、被爆者の方が自らの辛く恐ろしい被爆体験をそれこそ身をきるように苦しみながら語り継いでくれたおかげかと思うと、これから先どこかでそれを絶やしたらいけないと強く思う。

出演するのは、ほぼ宮沢りえと原田芳雄の二人だけ。それにちょこっと宮沢りえの恋人役として、浅野忠信がでてくるくらい。
暗く重くなりがちで、敬遠されがちなテーマだけれど、とてもユーモラスで心温まり、現代において原爆を語りついでいくのにふさわしい作品にしあがっているのは、原田のとぼけた父親ぶりと、耳に心地よく響く廣島弁、幽霊であるという設定、そしてこの二人による父娘の絆が全面に描かれているからなんだろうなと思う。

丸木夫妻の原爆の図が何回か場面にでてくるけれど、ずっしりと脳裏に焼きつく映像で、原爆の怖さを実感する。”反戦”がテーマの映画だけれど、原爆を落とした卑劣な国とか、なんてひどいことをする国なんだということは一切出てこないし、批判めいたことも全くない。それは”反戦=平和を望む心”という観念が一貫してるからだと思う。平和を望む心は、決して誰かを憎む心でなく、また、された方がした方を罵ることでもなく、「それらの行為を許すな!忘れるな!」ということでもない。

”二度と同じ苦しみ、悲しみをおこしたくない、おこさせたくない”、ただそれだけ。

家の瓦礫に体を押しつぶされてる父親を、必死で助けようとした娘。炎に包まれても、そこから一歩も動かない娘に、自らがこのまま焼け死んでいくのを承知した上で”早く逃げろ”という父親。
そしていうことをきかない娘に、父親はじゃんけんできめさせようとする。結局、生きながら死んでいく父親を見捨てた形で逃げてきてしまった自分を、娘はずっと許すことができない。

だからこそ、こんな自分には幸せになる資格はないと、好きな人とのそれ以上の発展を自ら壊そうとする娘に、最後父親が言った言葉が本当に心にぐっときた。

”あれだけつらい別れ方を、あの日何万人という人が一瞬のうちにすることになった。もう二度と、あんな悲惨な別れ方をしなくてすむように、しないように、この体験を伝える為に生きていってほしい”

監督のいいたい言葉は、このセリフに凝縮されているのだろう。こういう、本当の意味での平和を訴える映画が、これからも多く生まれていって欲しいと思う。
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