この映画、まず驚いたのはあまりにも今まで私が思い描いてたフランス映画のイメージと違ってたのと、
この監督はどうしてここまでも子供の純粋な心を覚えていられるの?ってこと。
小さいアメリがでてきて、一人でいろいろ遊んでる場面があるけれど、みてると”あ〜あたしもやったやった!わかるわかる”っと思わず声をだしそうになる。でもそういうのって、普段の生活をしてたらもう思いだせない。こういうのを見る事によって昔の自分自身がフラッシュバックしてくるけれど、それを表現できるのってすごいよなあ・・・。

窓ガラスに口をむにゅーってくっつけたり、指に顔を書いて皮膚を動かして遊んだり、コップの縁をなでて奇妙な音をたててみたり、セメダインを指にぬって乾かした後、ぺりりとはがしたり、ラズベリーの実を指10本全部にかぶせてはじから一気に食べていったり・・・・とかね。これやったな〜という懐かしい思いでいっぱいになります。ラズベリーは私の場合、とんがりコーンだったけど・・・(笑)

監督は、ジャン=ピエール・ジュネ。主演のアメリ役はオドレイトトゥという女優さん。オドレイはキュートという言葉以外の何者でもないです。このかわいさ、心の奪われ方は初めてローマの休日のオードリーヘップバーンを見た時の、あの衝撃と似てる。髪型もにてるからかもしれないけれど、私にはオドレイトトゥがオードリーの再来におもえてならない・・。

そしてアメリにはじまり、彼女の周りにいる人々の、ちょっと笑っちゃうおかしなクセみたいなのも、ああやって表現されると共感できて笑ってしまう。何かあると指をポキポキポキとならす人とか、壊れ物を包む時のプチプチ付のシートを指でつぶしてばかりいる人とか・・・ね。そして大きくなったアメリ自身のクセというか習慣もおもしろい。豆がいっぱいつまった袋の中に手をずーーっと深く入れてみたり、砂糖を焼き付けてつくったカラメルが上にのってるタイプのプリンを、そのカラメルの表面をスプーンで叩き割ってからたべたりとか、その気持ちとってもわかるな〜。

アメリは子供の頃の影響もあって、空想の中で生きてるおとなしい女の子だけれど、でも正直でとっても優しい。家の壁の中から偶然みつけた宝箱を、持ち主にかえしてあげようと必死に持ち主を探したり、マンション1Fの八百屋さんの、従業員に対する態度に腹を立てて八百屋さんにイジワルして仕返ししたり、働いてるカフェのスタッフの恋の手助けをしたり、等々。

目の見えないおじさんの手を引きながら、通りをかけぬける場面なんか、目の見えない相手だからこそ街の様子を口で説明してあげてるアメリがとても素敵にうつった。
全体的になんだか、これは、映画をみてるという感覚じゃなくて、おどぎ話を読んでるようなそんな不思議な感覚。たしかにおせっかいかもしれないけれど、でもアメリの姿はすごく自然。
そうやって周りに優しく、他人に優しくしていたら、いつか自分にもその幸せはかえってくるものだと思う。
アメリにやってきた幸せは、駅とかにある三分間写真のボックスの下におちてる写真の切れ端を集めてアルバムにしてる、ちょっと変わった幼なじみとの再会。

”縁は待っていたら通り過ぎる。時には自分からそのチャンスを捕まえにいけ”という同じマンションに住むおじいさんの言葉がいいね。彼、ニノが落としていったアルバムを彼に返すときのアメリの方法が凝ってる事、凝ってる事。でもそこまでミステリアスにするからこそニノの心は彼女に傾いていったのかしら!?小さい頃から一人でいたからか、彼女の想像力はとても豊で素晴らしい。

最後はとってもロマンチック。恋人同士の場面では、普通男性が女性をぎゅっと抱いてる場面が多いけれどアメリが両手にぎゅっとニノを抱いている。そしてそれに甘えるようにくるまってるニノもかわいいけど、アメリの顔がとっても幸せそう。
私も人にいいことしていよう!そんなことを実感した映画でした♪
趣味の道楽へ