先日”ティファニーで朝食を”を、またみる機会がありました。大好きな映画というのは何度みてもいいもので、何度見てもあきることなく感動します。
それに、映画というものは、見る時代、見る環境、見る状態、見る感情によって、見方が何通りもあるということがほんっと素晴らしいと思います。
同じ映画でこうも違った感想をもてるのか!という実感は何年もかけて同じ映画をくり返し見てみないと味わえるものではありません。

私が”ティファニーで朝食を”の映画の中で一番好きなシーンで、そしていつみてもほ〜っとため息が出てしまうシーンは、電話を借りにきたジョージペパード扮するポールと話しているうち、急ぎの用を思い出したヘップバーン扮するホリーがあわてて身支度を整えて、扉からでてくるシーン。
それまで、寝起きでパジャマのままの、かわいいけれどちょっとだらしない格好ででてくるホリー。
ところが、ポールと話をしながらすこしずつ身支度を整えていってそして最後、イヤリングをつけながら優雅な帽子をふわりとかぶって、”いかが?”といって出てくる時の美しさといったらもうため息しかでません。あまりに優雅でさっきまでの女性と同一人物とは思えない。淑女に大変身って感じです♪

なんていうか、ため息をつくとともに圧倒されるというか、どう〜やってもこの人の足元にもおよばないという、あっぱれとした敗北感みたいなのを感じます。
もちろん、最初から勝負などできるわけなどないし、そんなこと思うことすらずうずうしいというのは百も承知なわけだけど(笑)同じ女性として、私が一生かけても到底手の先に引っかかることもないであろう優雅さをみにつけてる彼女に、羨望のまじったがっかりするような納得するようなそんな気持ち。

一階のブザーみたいなところに、口紅と香水がおいてあるのもかわいい演出だなって思います。一度まねしてみたくて一人暮らしのときガスメーターのところにおいてみたんだけど、まったくおしゃれじゃないし、出かけるときにそんな余裕などないことに気づき速攻やめました。

ティファニーの店員さんが”時が流れても変わらぬものは暖かい気持ちを感じます”といっておまけの指輪に文字を彫るよう取り計らってくれる場面もなんだかあったかい気持ちになりますね♪

もう一つは、フェーレンソン夫人の気持ちです。今までは年もあるだろうけど、どうやってもホリーの立場からしか物語をみてなかった。でも今回思ったのは、あのフェーレンソン夫人の気持ちもいつかわかるようになるのかなあ・・ということ。

”おしゃれな人だから格好よく別れよう”とポールにいわれても”わかったわ、私はかっこいい女よ。”
ってとてもクールで冷静で怖気づいたりしない。
そして、休暇をあげるわ、なんていって小切手をあげて彼の気持ちをつなぎとめようとするんだけど、
もしかしたらそれは彼女の演出だったのかもしれないな〜と。取り乱したいほど彼を手放したくないのに、プライドやポールの描いてる彼女の像を壊せなくて、そういうクールな態度をとるしかなかったのかなあ・・・なんて。”完璧に終わりだね!”ってポールに出て行かれるとき、フェーレンソン夫人がふっと振り返るんだけど、その切なそうな表情は大人の女の、年上の女の、やりきれない気持ちみたいなのが感じられたような、そんな気がしました。

だけどいつみてもあまりいい気持ちがしないのは、アパートのあの変な日本人。あれはなんかちょっと・・・いただけない。なんで日本人がああいう設定なのか?あれをいやだなって思う人けっこう多いと思うんだけど・・・。どうかな?
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