*2003年11月撮影
ここは、清代の著名な学者であり、文学者であった紀暁嵐の故居です。
紀暁嵐は、1724年河北省献県にて医者の家にうまれた後、11歳からこの北京珠市口の四合院に住み始めました。
その後清朝の礼部尚書という位につきましたが、(礼部尚書とは今でいう
教育部部長のようなもの)中国古籍、古代文化に非常に貢献した人として有名です。

彼の業績として名高いのは、清代以前の重要書籍をまとめた
”四庫全書”の総編纂で、13年間の時間をかけたといいます。
また自ら8年の時間をかけて、四庫全書総目提要(総目録のようなもの)をも編纂しました。時代考証にすぐれていて、その他小説もよくかき、その範囲は医学から易学、御伽噺や地方風情とかなり広かったそうです。

また彼の晩年の作品として一番有名なのが、”閲微草堂筆記”という、12 82編もの怪奇短編作品をまとめた怪奇小説集。自ら見聞きした不思議な話をまとめたというその小説は、現代でも非常に有名な作品の一つです。

魯迅も紀暁嵐を尊敬していて、老舎もまた彼を愛し、紀暁嵐が自分で植えたといわれている入口にある藤棚は、老舎のお気に入りで、ここがまだ晋陽飯荘だったころは、よくその藤棚の下の席で食事をとっていたそう。
現在、晋陽飯荘はこの故居のお隣に新しく生まれ変わっています。
←藤棚を詠んだ老舎の詩が刻まれた碑
紀暁嵐が自ら植えたといわれている藤棚。  →
この藤の花は樹齢200年といわれています。
現在は、資料館としても一般公開していて、入場は無料。
中には紀暁嵐に関係する資料などがたくさん展示されています。
故居は中庭を囲む典型的な木造の四合院。
大通りに面しているとは思えないほど静かな空間です。
紀暁嵐故居

北京市宣武区珠市口西大街241号
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